2009年07月04日
七夕様の頃、鈴虫が生まれる
あと数日で、七夕様の日です。夜の物語がロマンチックに言い伝えられています。私の幼き頃にも、七夕の日があったことを鮮明に覚えております。お習字の時間は、すべて七夕の笹に結ぶ短冊を書く時間だったことを覚えております。
この七夕様の日は、梅雨の時期です。私は毎年この梅雨の時期になると、少し深刻に色々なことを考えるようになります。考えなくてもいいことまでしっかり考えてしまうのが、この梅雨の時期です。
この七夕様の日は、梅雨の時期です。私は毎年この梅雨の時期になると、少し深刻に色々なことを考えるようになります。考えなくてもいいことまでしっかり考えてしまうのが、この梅雨の時期です。
皆さんは、どうして梅雨があるのかご存じですか。それは、エベレストのあるヒマラヤ山脈があるからです。上空のジェット気流が、あの世界最高峰の山々があるヒマラヤ山脈をかすめるように流れてきて、それが日本にたどり着くときに、梅雨の元となるのです。その気流の流れによって、北海道には梅雨が来ないのです。
明日は雨かなと思って、職員に話を聞きます。職員はたった一言、私に明日の天気予報を告げてくれます。
「明日も雨ですよ。だって梅雨ですから」
何と冷たい言葉でしょうか。
富士山も最近姿を見せません。山開きをしたのに、山が休んでいます。もし365日毎日がいいお天気ならば、毎日富士山を聖尊寺の本堂から見ることができます。しかし、その姿は365通りあるわけです。美しき富士、または険しい富士、色々な姿を見ることができます。
先程からお話し申し上げているように、七夕が近づいてきました。その七夕の時期に、聖尊寺の本堂の庭では、ある行事が行われています。
プラスチックの40〜50センチの箱の中に、砂がいっぱい入っています。普段から空気が流れるようになってはいますが、今頃は、時々そのプラスチックの蓋を開けて空気を入れ換えて、中の砂を見ます。
そう、私は何かを待っているのです。
それは、鈴虫の誕生です。
皆さんはご経験がないと思いますが、今日、鈴虫が今年初めて、50匹ばかり砂の中から孵化してきました。卵だった鈴虫が、初めて地球に触れたのです。プラスチックの箱は、全部で5、6個あります。恐らく全部が卵からかえったとしたらば、その数は1000匹から2000匹はいると思います。
そしてその箱の中で、鈴虫の生活が始まるわけです。羽が出来て、綺麗な声で鳴く時期は、夏のシンフォニーです。鈴虫が一生懸命鳴いているのは、メスに向かって求愛しているのです。鈴虫は生まれてから、何回も脱皮して、そして最終的に目標は、たった1匹のメスと出会うことが鈴虫の一生なのです。
最後は、悲しいことが起きてきます。寂しいかな、強烈かな、相手のオスをメスは食べてしまうのです。先程までオスは、メスに求愛を送るために、素晴らしき旋律の鈴虫の音をいっぱい聞かせてくれていたのに、求愛が終わったらメスはオスを食べてしまうのです。
理論としてわかっていても、何か変な感じがしませんか。
このブログを読んでいらっしゃる女性は、自分が鈴虫のメスになったような気持ちになりませんか。ああ、メスってオスを食べちゃうんだ、そんな気持ちになりませんか。男性の方は、えっ、鈴虫? 食べられちゃうんだ。オスはさっきまで求愛していたのに、あっという間に食べられてしまうんだ、そんな風に思いませんか。
鈴虫の素晴らしきシンフォニーは、秋の終わり頃まで続き、やがて終わっていくわけです。その頃に、人間は鈴虫の箱が置いてある庭で、一言「今日は寒いね」。冬の知らせを肌で感じながら、もう鈴虫のことは忘れて、冬の世界のことを語り始めるのです。寂しいですね。例え鈴虫でも、たった1年の間に、生まれてお別れしていく鈴虫を考えると、あまりにも儚く、寂しすぎませんか。メスのために一生懸命鳴いたあのオスの鈴虫、1年で終わってしまうのです。そして寂しい冬がまた来るのです。
今日は私にも似合わない、寂しいロマンチックな話をしましたけれども、とにかく今日、鈴虫が生まれました。明日もあさっても、毎日秋が来るまで、鈴虫の箱を毎朝開けて、一生懸命鈴虫の生活を眺める日が続くでしょう。名前は付けません。何匹もいるのですから。でも、毎年思うのです。蓋を開けて鈴虫の姿を見ると、どうしても鈴虫が人間に見えてしまうのです。皆さんも1回、鈴虫の箱に入ってみますか。凄い虫の生活が待っています。
またブログでお会いしましょう。無論、明日の朝も鈴虫の箱を開けて見てみます。
明日は雨かなと思って、職員に話を聞きます。職員はたった一言、私に明日の天気予報を告げてくれます。
「明日も雨ですよ。だって梅雨ですから」
何と冷たい言葉でしょうか。
富士山も最近姿を見せません。山開きをしたのに、山が休んでいます。もし365日毎日がいいお天気ならば、毎日富士山を聖尊寺の本堂から見ることができます。しかし、その姿は365通りあるわけです。美しき富士、または険しい富士、色々な姿を見ることができます。
先程からお話し申し上げているように、七夕が近づいてきました。その七夕の時期に、聖尊寺の本堂の庭では、ある行事が行われています。
プラスチックの40〜50センチの箱の中に、砂がいっぱい入っています。普段から空気が流れるようになってはいますが、今頃は、時々そのプラスチックの蓋を開けて空気を入れ換えて、中の砂を見ます。
そう、私は何かを待っているのです。
それは、鈴虫の誕生です。
皆さんはご経験がないと思いますが、今日、鈴虫が今年初めて、50匹ばかり砂の中から孵化してきました。卵だった鈴虫が、初めて地球に触れたのです。プラスチックの箱は、全部で5、6個あります。恐らく全部が卵からかえったとしたらば、その数は1000匹から2000匹はいると思います。
そしてその箱の中で、鈴虫の生活が始まるわけです。羽が出来て、綺麗な声で鳴く時期は、夏のシンフォニーです。鈴虫が一生懸命鳴いているのは、メスに向かって求愛しているのです。鈴虫は生まれてから、何回も脱皮して、そして最終的に目標は、たった1匹のメスと出会うことが鈴虫の一生なのです。
最後は、悲しいことが起きてきます。寂しいかな、強烈かな、相手のオスをメスは食べてしまうのです。先程までオスは、メスに求愛を送るために、素晴らしき旋律の鈴虫の音をいっぱい聞かせてくれていたのに、求愛が終わったらメスはオスを食べてしまうのです。
理論としてわかっていても、何か変な感じがしませんか。
このブログを読んでいらっしゃる女性は、自分が鈴虫のメスになったような気持ちになりませんか。ああ、メスってオスを食べちゃうんだ、そんな気持ちになりませんか。男性の方は、えっ、鈴虫? 食べられちゃうんだ。オスはさっきまで求愛していたのに、あっという間に食べられてしまうんだ、そんな風に思いませんか。
鈴虫の素晴らしきシンフォニーは、秋の終わり頃まで続き、やがて終わっていくわけです。その頃に、人間は鈴虫の箱が置いてある庭で、一言「今日は寒いね」。冬の知らせを肌で感じながら、もう鈴虫のことは忘れて、冬の世界のことを語り始めるのです。寂しいですね。例え鈴虫でも、たった1年の間に、生まれてお別れしていく鈴虫を考えると、あまりにも儚く、寂しすぎませんか。メスのために一生懸命鳴いたあのオスの鈴虫、1年で終わってしまうのです。そして寂しい冬がまた来るのです。
今日は私にも似合わない、寂しいロマンチックな話をしましたけれども、とにかく今日、鈴虫が生まれました。明日もあさっても、毎日秋が来るまで、鈴虫の箱を毎朝開けて、一生懸命鈴虫の生活を眺める日が続くでしょう。名前は付けません。何匹もいるのですから。でも、毎年思うのです。蓋を開けて鈴虫の姿を見ると、どうしても鈴虫が人間に見えてしまうのです。皆さんも1回、鈴虫の箱に入ってみますか。凄い虫の生活が待っています。
またブログでお会いしましょう。無論、明日の朝も鈴虫の箱を開けて見てみます。
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コメント一覧
1. Posted by アッキーママ 2009年07月05日 03:47
鈴虫の一生、儚いものですね。
そんなふうに考えたこともありませんでした。
せみもそうですね。
やっと外の世界をみられたかと思ったとたん
一生を終えてしまうのですから。
今日は、こどものスポーツ大会の応援に行ってきました。
一生懸命グランドをはしる子どもたちをみて
「親」というものは、子どもに育てられるもの、
「親」にならせていただいたのだと
改めて感謝しました。
先生が以前、中絶の話をされていましたね。
この世に意味のない命はないと思います。
鈴虫だって一生懸命ないた後食べられてしまうけれど、
その鳴き声は、私たちの癒しとなるのですものね。
私も一生懸命生きてみます。
そんなふうに考えたこともありませんでした。
せみもそうですね。
やっと外の世界をみられたかと思ったとたん
一生を終えてしまうのですから。
今日は、こどものスポーツ大会の応援に行ってきました。
一生懸命グランドをはしる子どもたちをみて
「親」というものは、子どもに育てられるもの、
「親」にならせていただいたのだと
改めて感謝しました。
先生が以前、中絶の話をされていましたね。
この世に意味のない命はないと思います。
鈴虫だって一生懸命ないた後食べられてしまうけれど、
その鳴き声は、私たちの癒しとなるのですものね。
私も一生懸命生きてみます。




